中国に
『
伯楽、冀北の野を過ぎて、馬群遂に空し 』という句があります。
「冀北」とは中国の名馬の産地であり、「伯楽」とは、中国周代の馬の良否を見分ける名人でした。
ところで、掛中、掛西の初代校長である岡田良一郎は、天保10年(1839年)現在の掛川市倉真に生まれ、父の志を継ぎ、二宮金次郎の報徳思想を普及に努めました。大日本報徳社の二代目社長となり、また現在の掛川信用金庫を設立し、衆議院議員も務め、地域の振興に貢献した人物です。
岡田はまた教育にも熱心であり、倉真村の私邸内に私塾を開き、子弟達に寄宿舎生活をとおして教育に当たったのですが、その私塾から「名馬(有能な人間)をたくさん出すことができるように」との願いから、「冀北学舎」と名前をつけたのであります。
1880年(明治13年)10月1日に掛川中学校が設立されると、岡田は初代校長に任命されました。明治17年7月、学舎は閉塾されましたが、掛中も冀北学舎の教育精神の影響を受けました。
このようないきさつから掛中・掛川西高校の同窓会に「冀北会」という名前を使っています。