第21回

東京の横須賀藩士たち(5)

                             特種東海製紙㈱常任監査役 三谷充弘(高26回) 

 


飯田万吉肖像

(倉田白羊画)

昭和16年9月20日付「古人今人」

明治35年10月8日付官報「教員検定予備試験合格者 英語科」

飯田万吉先生

留魂碑と筆者



 

掛川西高と群馬県立沼田高校との校歌の酷似の原因を調べた際、当時の沼田中学校の職員に飯田万吉という人物がいることが何故か気になりました。(「歴史探訪」第15回に添付した沼田中職員録の画像のオレンジ色で囲った「岩崎莞爾」の左に見えます)

 

調べてみると、明治30年の群馬県尋常中学校利根分校の開校以来、昭和4年に退職するまで、30年余り沼田中学校一筋に勤務された方で、『沼高七十年史』を見ると生徒の信望も非常に篤く、卒業生たちが母校を訪れると真っ先に向かうのは飯田万吉先生であり、また同窓生が集まった時、すぐ話題に上るのは「万ちゃん」だったということでした(沼田中第9回卒の小田橋貞寿さんの回想によります)。

 

まさに「ミスター沼中」とも言うべき存在で、そのキャリアは大正元年から昭和17年まで30年余り掛川中学校一筋に奉職なさった「ビリさん」こと「ミスター掛中」戸塚廉平先生を彷彿とさせます。

 

 

 

そして沼中卒業生たちの回想を見ると「先生独自のキャッチボール式文法や発音指導など、ややお古いとは思われたが、面白く楽しく今でも当時をなつかしく思い浮かべております」とか、「いつも教室で得意なユーモアで生徒を笑わせたものだった。ゼスチュアもうまかった」とか、「この先生は初めてお目にかかった時、随分しなびた先生だと思ったが(中略)ところがこの英語、授業が天下一品であるのみならず、その英語の実力も天下一品であるには驚いた」とか、飯田万吉の授業は「古めかしいが実力は天下一品」ということが伺えます。

 

ここまで読んで「あっ、これは冀北学舎卒業生の山崎覚次郎らと同じく、坪内逍遥の春廼屋に寄宿して逍遥の指導を受けた飯田万吉ではないか」と気が付きました。逍遥その人も身振り手振り、時には声色まで使って授業をしていたと伝えられるからです。

 

 

 

そのうちに、現在の横浜市立奈良小学校で明治35年~昭和6年まで足掛け30年、教壇に立っていた飯田万吉の存在を知り、かなり悩みましたが、早稲田大学の松山先生から「関東大震災直後の逍遥の日記に、飯田万吉が沼田から見舞いに来た」という記述があるというご教示をいただき、沼田の飯田万吉が逍遥門下の飯田万吉であると確定しました。

 

 

 

ここでまた悩んだのが、「飯田万吉はどういう伝手で逍遥の指導を受けることができたのか」ということです。例えば山崎覚次郎ならば叔父の山崎千三郎が掛川銀行頭取で、逍遥のパトロンである永冨謙八(元.横須賀藩家老)が掛川銀行取締役、丘浅次郎は山崎覚次郎の従弟、永冨雄吉は永冨謙八の嫡子で冀北学舎の卒業生、鈴木虎十郎は冀北学舎の卒業生、山本松之助・長谷川如是閑(山本万次郎)兄弟は『当世書生気質』を出版した晩青堂主人の友人の子息とそれぞれに何らかのつながりがあるのですが、飯田万吉だけは全く逍遥との繋がりが分りませんでした。

 

 

 

そうこうするうちに偶々、明治35年10月8日付けの官報「教員検定予備試験合格者 英語科」に「千葉県士族 飯田万吉 (願書進達地方庁)群馬県」とあるのを見つけました。そこで「飯田万吉は横須賀藩士だったのではないだろうか」と思いましたが、その時は証拠がありませんでした。

 

 

 

そして先月、沼田高校を訪れた際、予め私から飯田万吉の来し方行く末を知りたいという来意を告げてあったので、林校長先生から沼田中卒業生の生方敏郎の個人雑誌「古人今人」の第61号(昭和16年9月20日発行)を示されたのです。

 

そこには飯田万吉の訃報と、「寿七十七」および「遺骨は房州鴨川の墓地に埋葬」の旨が記されていました。逍遥の春廼屋に寄宿していた千葉県士族の墓が鴨川市にあるということは、飯田万吉は慶応元年(1965年)生まれの横須賀藩士だったと考えて良いでしょう。(明治維新で横須賀藩が転封された安房国花房は現在の鴨川市です)

 

 

 

(第二次)掛川中学校初代校長柳生寧成の足跡を知るために千葉県山武市松尾(掛川藩が転封された上総国松尾)を訪れた時もそうでしたが、飯田万吉のような「無名の人」でも調べればそれなりに分かるような世の中になったんだなぁと、有り難さを噛み締めた沼田行でした。

 

 

 

なお沼田はフェンシングの町でもあり、沼田高はインターハイや関東大会、国体の常連校です。林校長先生も沼田高フェンシング部のご出身であり、「掛西の雑草JK剣士」山内梨緒選手のこともご存じでした。

 

ちなみに群馬県立沼田女子高の中曽根校長先生は、剣道教士七段という県内女性の最高段者です。